退路を断った女子フィギュアスケート選手 オリンピックへの道(vol.1)

わたしのマッサージセラピストとしての考え方に影響をあたえ、金メダリストを導くことができるようになった礎となる原体験があります。のちに誰もが知る、日本を代表するフィギュアスケーターとなった彼女とのエピソードを、5回に分けて紹介します。

彼女と同じようにトップアスリートとしてオリンピックや世界選手権などを目指す方にはもちろん、現在の自分からのステップアップを考えている多くの方も、彼女のストイックな姿から得るもの・感じるものがあると思います。

のちのトップフィギュアスケーターとの出会い

「よろしく お願いしま〜す」

ママと一緒に、クリニックを訪れたスケーター。

そのとき若干15歳。

ちょっと頼りない感じ。

「この子は、フィギュアの厳しい世界では生き残れないだろうな」 わたしは内心で、そう思ったのを覚えています。

ママはこの子をトロントにおいて日本に帰るということで、週末の食事を通して早速見守ることになりました。

退路を断ってオリンピックを目指す

直接話してみると、予想外にしっかりしていた彼女。

「日本の連盟に逆らってカナダに来ちゃったので、私がスケーターとして生き残るには、世界で勝つしか無いんです」と逃げ道を絶ったとの発言。

フィギュアを取り巻く状況は、当時は今とは全く違って、周りにチヤホヤしてくれる人もいないマイナーな部類のスポーツ。海外での生活を全て一人でこなしていかなくてはいけません。

海外試合の更衣室では、外国人選手の透き通る様な白い肌の色や、ボディーサイズの違いに気後れしたと彼女は言います。まだ、日本人が世界大会で表彰台に乗れるとは誰も思わない時代だったのです。

自分の意志でカナダに来た以上、スポンサーにも頼れず、限られた個人資金でまかなうことで、生活、そして練習をしなければならない。

あまり知られていないことかもしれませんが、フィギュアスケートという競技は、想像以上にお金がかかります。

金額の大きさに、「なんで、そんなに!?」と思いますが、アイスリンク代、コーチ代、衣装代、スケート靴代、振り付け代、それに伴う移動費などなど、すべてのコストを合計してみると凄い金額になるのです。

世界とのギャップ、金銭的な負担、周囲からの限られたサポート。このような困難を克服しつつ、世界で戦っていくことを覚悟した15歳の女の子との出会いでした。

将来トップアスリートとなる片鱗

そんな彼女と過ごし始めて私がすぐに気づいたこと。それは、この15歳の少女は、この状況を理解し、自分に厳しいという素晴らしい素質を持っていることでした。

彼女は常にベストな状態で練習が出来る様に、いつでもコンディショニングを怠りません。今のように専属トレーナーなど、ついていない時代の話です。

(彼女とはその後、数十年に渡る付き合いになるのですが、今でもその姿勢は変わらず、朝起きると十分なストレッチを必ず行ってから活動を開始します)

この彼女との経験が、私がアスリートにしつこく「基本的コンディショニングの重要性」を説く起源となっています。

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